オゾン監督は壊れそうで壊れない女を描くのが実にうまい。
フランソワ・オゾンはいつも私を裏切らない
今作品は、モノクロームの世界から、嘘、幸せ、そして回想へと映像が美しく、
合縁奇縁の不思議といった感情を、
あの「イヴ・サンローラン」のピエール・ニネと
独の新星パウラ・ベーアが素晴らしく演じ
気骨のある映画。どの場面もなつかしい優雅さを湛えている。
静かに畳みかけるように描かれ重ねられていく謎が、次々と新しい衝撃を生み、人生のひだの深さを教えてくれる。
一見正統な手法での物語の展開が、これほど美しく新しく人間を見せてくれるのは驚きである。心に深く染み入る秀作である。
フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』への熱烈なオマージュという体裁で、オゾン監督は男の幻影としてのファム・ファタルではない、自分のために生きる新しい女性像を描き出すことに成功している。
ヴァイオリンで奏でられるショパンのノクターンが、この上なく美しく切ないラブストーリーに、深い印象を残します。
様々な伏線が、気持ち良いくらい期待を裏切っていく展開に釘付けになりました。モノクロ撮影された一つ一つの絵にも物凄いパワーがあり、ミステリー、ドラマ、ロマンスの要素が全てバランス良くとれている作品です。
“正体”が暴かれたあとの何層にも重なっていく“嘘”の構築や、スタイリッシュな映像美とファッションはオゾン監督ならでは。繊細な美しいピエール・ニネの演技や、強さを身につけていくアンナ役のパウラ・ベーアにも目が釘づけ!
悲しい嘘をつく美しい男の前で彼女はさらに美しく力強く見えた。
戦争の傷跡は美談にはできない。
けれど、その後を生きる人間の感情はモノクロとカラーを行き来するこの映像の煌めきから染みるように伝わってきた。
フランスとドイツ、戦前と戦後、死者と生者、戦場と手紙、マネの絵と自殺願望、チェロとピアノ、嘘と現実、憎しみと恋。
これら緻密に配置された"距離感"がなんとも切ない。近づきつつも、決して混ざり合う事はない婚約者と婚約者の家族、そして、婚約者と"婚約者の友人"。
それは、あたかもモノクロとカラーの諧調を揺らぎながらも、離れるかのよう。
"フランツ(原題)"は、"フランス"と"フランソワ"監督の間に産まれた"オゾン"層の如く、ミステリーとラブロマンスの境界を漂う。
ヴェルレーヌの詩やマネの絵画など、芸術作品という偉大な嘘を引用しながら、映画という嘘の中で、嘘に翻弄される人々を描き、嘘が持つ残酷さと力強さに希望まで与えてしまうオゾン監督の凄みは圧倒的です。
見事というしかない。フランス映画ならでは、いや、オゾン監督ならではのアイロニーとロマンとウィットを十二分に味わうことができる。
それを罪と呼べるのか。ふたつの国の傷跡をなぞる、残酷で優しい嘘。木々を揺らす風と祈り。それでも、許すことができるなら、私たちは何度でも。
フランソワ・オゾンの物語に、今なお閉じ込められている私の秋です。
恋愛映画とするには、あまりに衝撃的。文芸ミステリーと呼ぶには、あまりに重厚。またも前例のないジャンルを見せてくれたオゾン・ワールドの果てしない可能性にも心が震える。ここまで優しく哀しいラストはなかったかもしれない。
上質なメロドラマと思わせて、その枠を超えていく物語。恋や戦争の悲劇を人々はこんな風に乗り越えていくんですね。ヒロインを演じる美しいパウラ・ベーアの清く力強い表情に、私も生きる力が湧いてきました。
歴史的観点からも、この物語には厳しい未来が待ちうけている。それでも人は誰かを好きになって、愛を抱きながら強く生きてゆく。そうすることで、どんな過去も彩られ、美しい思い出となるからだ。
哀しみを湛えたロマンティシズムと、不穏なミステリーが混じり合うモノクロームの映像世界が絶え間なく胸騒ぎを誘う傑作。そして墓場から出発し、宙ぶらりんの旅路を危うげに突き進むヒロインの変容にも驚嘆せずにいられない。
誰もが傷を負ったモノクロの現実と、生き生きと色づくカラーの世界。
その美しい対比に隠された、フランソワ・オゾンの真意に気づいた時、
切なさとやるせなさで胸が締めつけられた。
モノクロームとカラーを使った映像はため息が出るほど美しく、優雅で詩的で切ない物語も絶品!愛の強さ、儚さ、それでも人は生きていくということ。見終わった後、ずっと余韻が残りました。
喪失感、愛を感じた瞬間、絶望と混乱、そして再生への希望。
ひとつひとつの感情の細かい粒子までが、くっきりと目に見えるような映像美に惹きつけられました。
穂村弘(歌人)